国内外での転職を経て辿り着いた お金では得られない”自分らしいライフスタイル”【こんな生き方もあったのかvol.8】

2023 / 08 / 24

国内外での転職を経て辿り着いた お金では得られない”自分らしいライフスタイル”【こんな生き方もあったのかvol.8】

構成/冨田愛純

撮影/冨田愛純

和歌⼭市で⾃分らしく活動している⼈を通して、全国に和歌⼭市の魅⼒をお届けしたい。
そんな想いから⽴ち上がったインタビュー企画「こんな⽣き⽅もあったのか」では、その ⼈が辿ってきた道のり、これまでの⼈⽣を振り返って思うこと、さらには今後実現していきたいことに迫ります。今回は、2019年5月に和歌山市最北端の集落”大川”に移住し、海のすぐそばでゲストハウス「YAMAMI'S」を経営する山見玲加さんにお話をお伺いしました。国内外で3度の転職を経て、「祖父母の故郷”大川”での暮らしがしっくりきた」という山見さんにとって、自分らしい生き方とは。

ゲストハウス「YAMAMI'S」

オーナー

山見玲加

大学卒業後、東京の測量会社で2年半勤務した後、出版社へ転職。出版物のPRなどを3年間担当した後、新たなライフスタイルを求めて、マリンアクティビティのガイドとしてパラオへ移住。帰国後の2019年に、山と海に囲まれた和歌山市最北端の集落”大川”で、祖父母が住んでいた空き家をリノベーションしたゲストハウス『YAMAMI’S』をオープン。また、SUP(スタンドアップパドルボード)のツアーガイドやスイミングインストラクターなどとしても活動中。休日は、近所の山や海でハイキングやスイミングを楽しんでいる。


都会の生活では得られなかった、”心地よいご近所付き合い”


大川に住むようになって、めちゃくちゃ人としゃべるようになりました。まず、私が住んでいる集落には20人いるかいないかくらいで、地域の人全員と知り合いなので、会ったら挨拶して話すんですね。あと、都心に住んでいた時よりも職場と家が近いこともあり、車でスーパーへ出かけると、知り合いやお客さんによく会って、常にいろんな人としゃべっています。笑 


干渉はせず、でもどこかでお互いを気にかけていて、それこそ一緒に食事するときもあって、ちょうどいい距離感の関係性がこの地域にはあるんです。これは、都会の生活ではなかったことなので、移住したからこそ得られた関係性だなと。 


都会に住んでいた時は、仕事もネットで探していたんですけど、今は知り合いから紹介してもらうことが多くて。今年から始めたSUPのツアーガイドも、前に働いていたお店の上司に声をかけてもらったのがきっかけなんです。ネット上にはない仕事や人と出会えることも、和歌山に移住して感じる魅力の一つだと思います。もちろんYoutubeやSNSも見るんですけど、最近は飽きてきて、やっぱりリアルな世界が一番おもしろいし楽しいですね。 


ご近所の方からお裾分けしてもらったというじゃがいもと山見さん


さまざまな業界を渡り歩いた20代 ”自分らしいライフスタイル”を求めて


まちづくりの勉強をしていた大学生の時に、地図を作るソフトを使っていて、「地図って暮らしを支えるインフラの一つだな」と思ったんです。もともと、”人の暮らしが良くなる仕事に携わりたい”という想いもあったので、新卒で地図を作っている会社に入りました。当時所属していた「衛星事業部」というところが、人工衛星で撮影した写真から地形データや地図を作る部署で、JAXAと仕事することもあって、テンションは上がるし刺激的で楽しかったですね。 


ただ、組織が大きすぎて「暮らしに役立っている」という実感があまり得られなくて、入社して2年半経った頃に「もっと小さい会社で働きたい」と思うようになったんです。加えて、インフラというハード面ではなく、ソフト面から人の暮らしを支える方が重要な気がして、転職活動をする中で出会ったのが社員10人前後の出版社だったんです。


社会起業家など社会をより良くしようと活動する人を応援するための本を作って出版している会社で、「自分たちが応援したいと思う人の本しか作らない」っていうビジョンに共感して転職しました。そこでは、周りの同僚から得られるものも大きかったし、お金のためだけに仕事をしていない人がこの世の中に存在していることを知れて、とても嬉しかったのを今でも覚えています。



ただ、お金を稼ぐことだけを目的とせず本気で働く人たちを間近で見ていて、自分の中で「この先どんな環境に行ってもこの人たちのように強く生きていける」という自信が湧いてきたんです。それと仕事は充実していたんですけど、家とオフィスを往復するだけのライフスタイルに違和感を覚えるようになって、3年間勤めた出版社を辞めました。お給料が減っちゃうなとか、友達と離れてさみしいかなとかそれなりには考えたんですけど、それよりも「暮らしのスタイルを変えたい」って気持ちが圧倒的に勝っていましたね。 


10年間新たな世界に飛び込み続け、辿り着いた”大川での暮らし”


次は自然の中で身体を動かす仕事がしたいなとツアーガイドの仕事を探していたら、海外の求人も出てきて未経験OKって書いていたので、「やるか!」とパラオに行きました。パラオは何もなくて、海と人とたまに動物がいるくらいなんですけど、それでよかったんです。当時住んでいた家もボロボロだったんですけど、全然いやじゃなくて。私はこういう自然と近くて開放感のある環境を必要としていたんだと気づいて、そこから都心に住むという選択肢が自分の中からなくなりました。 


パラオでも、同僚に恵まれてツアーガイドの仕事も楽しかったんですけど、会社の経営者と噛み合わない部分が出てきて、半年で帰国しました。しばらく大阪の実家にいた時に、祖父母が住んでいた大川の空き家を思い出して、4年前に移住して今に至ります。


振り返ると、仕事や生活といったライフスタイルを総合的に捉えた時に、今まではどれかが自分の中でハマっていなくて環境を変えてきたと思うんです。そういった観点では、大川での生活スタイルが一番しっくりきていて、今のところどこかに行って環境を変えたいとは思っていないですね。


山見さんのゲストハウス「YAMAMI’S」のすぐ裏から見られる景色

お給料やステータスといった条件って求め出したらキリがないと思っていて。なので、新卒の時からそこまで興味はなかったんです。もちろん極端に悪いのはいやですけど、それよりも自分がやりたいと思えることに沿える仕事や、自分がいいなって思える環境をずっと探していましたね。そうじゃないと何も始まならいし、人生つまらないなって思うんです。だからこそ、自分がしっくりこないことをずっとやるのは耐えられなくて、違和感をそのままにせずに環境を変えよう、とにかく行動しようってなるんだと思います。


新卒から10年、右往左往さまよった結果やっと今のライフスタイルに辿り着いて、寄り道はしまくりましたけど、この10年は無駄じゃなかったなと。 まぁ、おそらく今後も、たくさん寄り道はするんだと思いますが。笑


お金では得られない大川の魅力を、若い人に伝えていければ


今は、自宅でゲストハウスを経営しながら、SUPのツアーガイドやスイミングスクールのインストラクターもしていて、それぞれで「こうしていきたい」という小さな目標があります。結果的に、全ての仕事が良い影響を与え合っている感覚があって。失敗や嫌なことがあると多少は引きずるんですけど、その日に別の仕事があると「あの時もっとこうしたら良かったな」と冷静に考えられるので、自然とメンタルも安定するんです。


仕事は人との出会いだったり新しい経験や発見だったりと、お金だけじゃない何かをくれるものだって昔から思っていたんですけど、和歌山で働くようになって、より一層そう思うようになりました。昔の方がお給料は良かったんですけど、お金以外の面で得られることが今はとても大きくて、そこから新しい仕事に繋がったりお友達ができたり自分の世界が広がっていくので、トータル的に考えると今が幸せだし、おもしろいですね。


集落の中では、私がぶっちぎりで若いので、ほかの若者たちが大川に来たくなるきっかけを作れるような人になれたらなと思っています。大川のような小さな集落でみんなと関わりながら生活するって、本当に豊かな経験だと思うので、そこを若い人たちにも伝えていけたらなと。将来もし自分の家族ができて、この大川で子育てしながら過ごせたら、また新しいアドベンチャーが始まって、おもしろそうだなって思っています。



ゲストハウス YAMAMI’Sの詳細はこちら☟

https://www.airbnb.com/h/yamamis-wakayama


和歌山市移住定住支援サイトはこちら☟
http://www.city.wakayama.wakayama.jp/ijuteiju/index.html

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