和歌山市の”ゆるい”は、人に寛容な証【ときめきダイアリーvol.6】

2023 / 03 / 03

和歌山市の”ゆるい”は、人に寛容な証【ときめきダイアリーvol.6】

構成/冨田愛純

撮影/冨田愛純

「Wakayama City Life」の編集長の求人をみた瞬間、どうしてもこの仕事に携わりたいと思い、人生初の移住、転職を経験し、やりたかった仕事ができるワクワク感と、初めての仕事、環境の中で上手くやっていけるのかといったソワソワ感の両方を抱きながら、日々奮闘している新米編集長による「ときめきダイアリー」をお届け!



「ゆるいでしょ〜」「ゆる〜くやらせてもらってるねん」


移住してきてからというもの、会うひと会うひとから聞こえてくるこのフレーズ。


たしかに、こっちにきてまだ2週間ちょっとだが、すでにそのゆるさを感じることが多々ある。大阪でも、自分のことを”ゆるい”と言う人や、周りから言われている人はいたけれど、それとは何かが違うのだ。


ここ最近だと、PayPayが使えない駐輪場(大体使えないか)で財布を持っていないことに気づき、精算機の前でおどおどしていると、「またいつでも返しにきてください」と管理室の人が150円渡してくれたり。(神様すぎる)

和歌山市の知り合いに連れて行ってもらったご飯屋さんで、メニューが豊富すぎてなかなか決められないでいると、「鳥、牛、豚、とりあえず一つずつ頼もう!」と言ってくれたり。(お姫様気分)

いいひらめが入ったから1匹刺身にしてもらおう!と。美味しすぎて忘れられない


私が思うに、和歌山市の人から感じる”ゆるさ”は、人に対する”ゆるさ”な気がする。時間にルーズとか、お願いしたことを忘れるとか、そういう自分にゆるいとかではなく。

大阪出身のラッパーBASIの歌詞「車の中で、おしゃべりして、和歌山方面向いてるときは、だいぶゆるい」を聞いて、なんとなく和歌山方面って心地よいゆるさがありそうだな〜って漠然としたイメージはあった。

だけど、移住してきてそのゆるさを直に感じられて、和歌山市にもこの歌詞にもよりときめいたここ最近です。

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